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本読み月記


【ジャンル分け】 最初から日本語で書かれた小説。
最初から日本語で書かれた小説以外。
日本語以外で書かれたものを日本語に翻訳した小説。

日本語以外で書かれたものを日本語に翻訳した小説以外。

コミックス


『王妃マルゴ』5 萩尾望都 集英社

新品購入。
ついに1572年、聖バーソロミューの虐殺。
隣国イギリスはエリザベス一世の治世下、スペインはフェリペ二世。
中国は明王朝。日本では織田信長が天下人となる少し前。
そういやナヴァルのアンリのあとフランス王家ってどうルイ16世につながってくの?と今頃ググってみたら、アンリの子がすでにルイ13世だったんですね。これってマルゴの子?と母親欄確認してしまい、ふたりがのちに離婚することを知る、るるるー。



『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』 ルイス・ダートネル(訳:東郷えりか) 河出書房新社

図書館。
なんらかの出来事がもとで、水道ひねっても水が出ず、電気はとまり、ガスもとまり、ガソリンはスタンドに残ってる分だけ、店舗に新しい入荷はなく、ゴミ収集もなくなったら。
こうした事態が世界規模でもし到来した場合、生き延びるためにするべきことや、元の生活を少しでも早く取り戻すには何を活用すべきか、などについて、記した本。
わたしたちは必要ないろんなものを買うことに慣れすぎて、昔の人ならばある程度は持っていたと思われるさまざまな知識を失くしてしまっている。
わたしがいま着ている部屋着、綿素材のTシャツに綿素材のジャージ、これを一から自分で作るには、まず綿花を育てないといけない。が、綿の種ってどこにあるんだ? 種手に入れたとしても、どんな土に蒔いて、どう世話すればいいのだ? もし無事綿が実ったとしても、収穫した綿をどうすれば、ニット地やジャージ地になり、それを縫うための糸が作れるのか? 綿の種は磨り潰して重しかけたら綿実油がとれるらしいのは知ってるけど。
この本を読んでて一番びっくりしたのは、酸性かアルカリ性かということが、どれだけ重要で、生活の役にたつかということ。リトマス試験紙が登場したのは小学校の理科の授業だが、教える先生ですらたぶん、酸性かアルカリ性かということの生活への応用加減など、ぜんぜん知らなかったと思う。
「僕らの知る世界の終焉」「猶予期間」「農業」「食料と衣服」「物質」「材料」「衣料品」「人びとに動力を」「輸送機関」「コミュニケーション」「応用化学」「時間と場所」「最大の発明」の13章からなるこの本を、「人々に動力を」あたりまではじっくり読んだが、それ以後は手にあまりすぎて飛ばし読みました、ごめんよ、ルイス・ダートネル。
この本の中でびっくりしたのは、

二十世紀の初頭には、根本的に異なる三つの自動車産業技術が優位を競っており、電気自動車は蒸気およびガソリン駆動の自動車との競争でも引けをとらなかった。機械的にはるかに安定しているうえに、静かで煙もでないからだ。シカゴでは電気自動車が自動車市場で優勢に立ってすらいた。電気自動車の生産がピークに達した1912年には、三万台がアメリカの市街を静かに走っていたほか、さらに4000台がヨーロッパ各地で使われていた。1918年には、ベルリンのモーター付きタクシーの五分の一は電気自動車だった。
バテリーを搭載した電気自動車の欠点は(軌道上部の架線から連続して電気を供給できる電車やトラムとは異なり)、重量のある大きなバッテリーでも大容量のエネルギーを蓄電することはできず、いったん枯渇すると、バッテリーの充電に長い時間がかかることだ。こうした初期の電気自動車の最大走行距離は160キロほどだったが、これは馬よりは長距離で、都会で乗る分には充分すぎるものだった。解決策はバッテリーが充電されるのを待つ代わりに、単純に交換スタンドに立ち寄って、切れた電池をフル充電されたものにそっくり取り替えることだった。マンハッタンでは1900年に電気タクシーの一団が順調に操業しており、中心部にあるスタンドが残存量のなくなったバッテリーを新しいトレーと手早く交換していた。
(第9章「輸送機関」 221頁より無断転載)

考えたことあるのよ、これ。
乾電池、ボタン電池、以外の第三の電池、もっといっぱい電気を貯めておける電池の統一規格を作って、いま現在送電にたよっている家電、冷蔵庫やレンジ、IH調理器、TVにレコーダー、エアコン等、そんで一番充電切れたら困る電気自動車、それらが全部その第三の電池で動くようになったらと。自宅にも五個くらい入れられる充電器があって、さらにガソリンスタンドとかホームセンターで買えたりしたらいいのにと。
まさか自動車社会黎明期、電気自動車専用とはいえ、すでにあったシステムだったとは。

ともあれ、この本にあるいろんな課題のいくつかを実地で学べる授業が義務教育であればいいなと思います。>文科省 (JASRACに天下りするならするで、著作権法ちゃんと熟読してからにしてよね、文科省官僚ども)



『蝶』 皆川博子 文藝春秋

図書館。
太平洋戦争の頃の日本を舞台にした短編集。
「空の色さえ」「蝶」「艀」「想い出すなよ」「妙に清らの」「竜騎兵は近づけり」「幻燈」「遺し文」の八編入り。
中の上? 上の下? あたりのおうちに奉公に出た女の子とその家の奥様の「幻燈」、なんか好き。
天井板の隙間から天井裏を覗いてしまったがために、リアルでは敗戦からあとの人生を暮らすのに自分の半分は押入れの中の階段の上に残してきたという「空の色さえ」もなんか好き。
しかし、上階への階段の上り口を押入れの中にしつらえるって、賢いよねー。冬場、暖房がぬくめた空気、階段が剥き出しだとそこから上の階にいってまうもんねー。


『客席から見初めた人』 関容子 講談社

図書館。→新品購入。
今月、東京の芸術劇場に野田MAPの「足跡姫」を観に行った。
この公演、東京のみで、野田MAPのメール会員先行の案内来たとき、あははは、当たりっこないけどとりあえず参加ーとか思って申し込みしたら、当たってしもたのだ、どっひゃー。
当たったからには行かずばなるまい。
というわけで、
往復ピーチ、成田-東京はJRのアクセス成田、宿はアワーズイン阪急、で東京へ。
で、ピーチ機内とアクセス成田の道中の暇つぶし用に、フリードリヒ二世登場で俄然勢いついてきた『十字軍Ⅲ』と図書館でやっと順番まわってきたこれを持ってったのだ。
「足跡姫」、ところどころ「野田版研辰の討たれ」や「野田版鼠小僧」(シネ歌舞伎のたぶん第一作)を彷彿とさせるシーンがあったものの、野田作・演出作品の出来としては中くらいかなあくらいの気持ちで観てたのだが、最後の妻夫木総扮するさみしがり屋サルワカの独白で、ぼろぼろと、ほんまにぼろぼろと、泣かされてしまったのだ。
宿へ帰る電車の中でパンフの序文読んで、序文最後の一行「そんな意味でも「足跡はさ、消えるからいいんだよ」と彼が言ってるような気がする」で、電車の中でも鼻噛む羽目になったわ、おのれ野田秀樹。
そしてこれには中村扇雀さまが出ていらした。扇雀さまに関しては、おのれ野田秀樹、扇雀さまをこんなもったいない使い方しやがって、とか思ったの、で、宿のチェックイン済みの部屋に落ち着いた途端読んだのは、この本を図書館予約したそもそもの原因である秀太郎さまの項でなく、扇雀さまの頁であった。
「「型」と「オーラ」の無名塾長 仲代達矢」「人間の虚実を操る魔法使い 串田和美」「説明しない演技の巨人 小日向文世」「遊びと逸脱の永遠の音楽少年 岸部一徳」「男と女の狭間で踊る麗人 麻実れい」「人形に命と色気を注ぐ伊達男 桐竹勘十郎」「遅れてきた現代の兼ねる役者 中村扇雀」「濃厚な上方の色気を漂わす女形 片岡秀太郎」「日本舞踊の全てからの飛翔 藤間勘十郎」「伝統世界の二代目アンファンテリブル 中森勘太」「変幻自在の「狂言サイボーグ」 野村萬斎」「「名人のいる風景」の立会人 矢野誠一」「夢見るオーケストラの浪速男 桂米團治」「落語界の唄う徳望家 柳亭市馬」「粋と和みの文人墨客 柳家小満ん」「多芸多才な横丁の若様 春風亭小朝」の16人。

夕餉の食卓が十三世仁左衛門歌舞伎塾だったという秀太郎さまと、父である現山城屋さんがいつお稽古してたのかよくわからなかったという扇雀さま、松嶋屋と成駒屋の二家がなんとも対称的で印象深かった。


『いとしの天使猫 マーベリック』 久下貴史 世界文化社

図書館。
野田MAPの「足跡姫」、こんなん当たるはずないわ、あははははーと、野田MAPメール会員先行申し込みしたら、当たってしまったのだ、どっひゃー。
で、東京芸術劇場デビュー、いやあ、おっしゃれーな劇場っした。
そこに早めに着いて、お下りさんよろしく館内観光しまくってて、1階のアートショップでこの作家と初遭遇。
何枚か直筆画が壁に飾られてて、それがステキで、店員さんに画集かポストカードないか尋ねたらポストカードあったのでつい買ってしまい、帰ってから図書館検索したらこれがあった。
タイトルからしてやばい気(主役の猫が既に故猫だろうな)はしたが、借りてみたら、やっぱり思ったとおりだった。
欲しいなあ、画集。
作って売ってよ、東京芸術劇場アートショップ。
そんでこのアートショップで下手したら買ってしまいそうだったのが、ゴッホの自画像風な猫の絵。

あの絵も大好き、グランドピアノがいっぱい並んでる中に猫のシルエットがある絵。


『オーファンX 反逆の暗殺者』 グレッグ・ハーウィッツ(訳:三角和代) 角川文庫

図書館。
新刊コーナーでみつけて面白そうと借りてきたのだが、そんで最初のほうは面白かったのだが、博打で作った借金のカタに父親人質にとられてた女がモレーナに連絡先を教えられたと出てきて、それがほんとにモレーナが連絡した相手なのかどうなのかわからなくなったあたりで話がうっとうしくなり、あとは飛ばし読み。



『女子をこじらせて』 雨宮まみ ポット出版

図書館。
亡くなったときに回ってきたリツイートでこの著者が「こじらせる」という言葉に新しい意味を与えた人だと知り、最初に出たこれを予約した。
が、この人のこじらせ加減はわたしには縁遠い系のこじらせ方だったもので、これまた途中から飛ばし読み。



『Landreaall』29 おがきちか 一迅社

新品購入。
もちろんDVD&小冊子付限定版。
予約するとき、値段にびびったが、えいやっ!と。
クレッサール編、大団円。したものの、なんかいろいろごっちゃになってよくわからんようになってたので、読み返しに突入。





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