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本読み月記


【ジャンル分け】 最初から日本語で書かれた小説。
最初から日本語で書かれた小説以外。
日本語以外で書かれたものを日本語に翻訳した小説。

日本語以外で書かれたものを日本語に翻訳した小説以外。

コミックス


『ストライク・ザ・ブラッド APPEND2 彩昴祭の昼と夜』 三雲岳斗 電撃文庫

新品購入。
APPEND2は4巻『蒼き魔女の迷宮』のすぐあとあたり。
今回も章の最後に掌編のおまけつき。
ラストダンジョン攻略途中の中ボスとしてのりのりでご登場の九尾の狐なラ・フォリア様、もおおお最高♡
紗矢華が長壁姫だと判明したとこでの古城の「意外に大物だな……煌坂のくせに」もくっそ笑た。



君をいかせたい』 図子慧 Kindle

Kindle購入。
大学生の「ぼく」が同じ大学に通う恋人とよりを戻すまで。
タイトルがこれなもんでどうかなあと思いながらもでも図子慧の最新刊だしーと購入。
購入してからしばらく放置してたもんの、PCにインストールしたことも忘れてたKINDLEアプリをやっと開いて読み始めたら、やめられない、とまらない~♪
学園祭の夜に出会った年上の女性に連れられて入り込んだ取り壊し予定の研究室二十一号の来歴をたどるとこから引き込まれ、「ぼく」がなんか普通の家庭の子でない感じが小出しにされてく過程も愉快で、紆余曲折しつつもイライラさせられない紆余曲折で、最後はステキな大団円。
という、図子慧はやっぱりハズレへんなあの、すっごく楽しいお話だった。
なのになぜこんなタイトルにした、図子慧。
あなたの書くものの愛読者にあなたにエロをまず求めてる読者はおそらくたぶんまずおらんぞ、図子慧。



『三島屋変調百物語 伍之続 あやかし草紙』 宮部みゆき 角川書店

新品購入。
「開けずの間」「だんまり姫」「面の家」「あやかし草紙」「金目の猫」の五編入り。
「開けずの間」、家族という密室で起きる怖い話だったが、当事者のたったひとりの生き残りの語り手の平吉さんの人柄にすくわれた。この人がいま幸せでほんとよかった。
「だんまり姫」の語り手のもんも声のおばあさんも大好き。
が、「あやかし草紙」、おちかの勘一への逆プロポーズはびっくりしたー。
最後に「了」とあったから、このシリーズ、完結か。なんとはなしにずっと続くと油断しきってたので、鳩が豆鉄砲くらった気持ち。



『修道女フィデルマの挑戦』 ピーター・トレメイン(訳:甲斐萬里江) 創元推理文庫

新品購入。
去年の12月に出ていた。
気づいていなかった。
短編集。
「化粧ポーチ」「痣」「死者の囁き」「バンシー」「消えた鷲」「昏い月 昇る夜」の六編入り。
レアなのは「化粧ポーチ」&「痣」。「化粧ポーチ」がフィデルマが16歳、モラン師の学問所に入学してすぐ起きた出来事、「痣」はそれから四年後の卒業試験なので、これまで読んだ中で一番若いフィデルマ。



『幼なじみ萌え ラブコメ恋愛文化史』 玉井健也 藝術学舎

図書館。
いま確認してみたら今年1月28日の朝日新聞の読書欄で紹介されてた本。
そのときはまだ堺市図書館入荷してなかったが、先月ふと思い出して検索しなおしてみたらあった。
が、あったときには中身の説明を綺麗に忘れはててて、「幼なじみ」が長じて恋愛に発展するフィクションをパターン別に分類したものかと思って読み始めたら違ったが、そして登場する作品、9割がた私が読んでなくて観てなかったが、この人の書く文章があちこちすっげえ愉快で、ついずるずる読んでしまった。
目からうろこを思いっきり落としてもらったのは、第十三章「転生したら幼なじみだった件」にあった、

この世に他者を論理的に理解する思考回路をもたない人がいる (157頁より無断転載)。

あのときやそのときやこのとき、一生懸命説明してもわかってもらえなかったのは、己の説明が拙かったせいだと思い込んでたわ…。まあ、わたしの説明が拙かっただけかもしれないが。
この人、他に本は出してないのかと探したが、今のところはこれ一冊。
が、ググったらこんなんがみつかった。


第十四章「ストプ!!幼なじみくん!」で触れられてた『精霊の守り人』(184頁)、トロガイはタンダの師匠の呪術師だったはず、と思って確認してみたら、あ、あった、新ヨゴ皇国初代皇帝はトルガルでした。


『宇宙飛行の父 ツィオルコフスキー 人類が宇宙へ行くまで』 的川泰宣 勉誠出版

図書館。
朝日新聞書評欄で紹介されてて予約。
ツィオルコフスキーのことを知ったのは「コズミック・フロント」の「宇宙エレベーター」の回だったと思う。でもこの人のことをちゃんと覚えたのは同じく「コズミック・フロント」の「100年前の大予言 コンスタンティン・ツィオルコフスキー」の回。
ツィオルコフスキーが生まれたのは1957年。日本はその頃いつ?とググったら、なんと安政三年であった。ロシアもまだソ連誕生前。
よい伝記だった。著者が「どうかしばらくの間ご辛抱を。」と但し書きしてから語るロケットの説明のところも読みやすくて面白かった。(挿話風にはさまれる落語の部分は、ちょっとそのお…だったが)
ツィオルコフスキー、10歳で猩紅熱(に罹った人に本で出くわしたのは『若草物語』のベス以来の二人目)の後遺症で耳がほとんど聴こえなくなり(左耳だけちょっとだけ聴こえたそうな。いま放送中のNHK朝ドラ「半分、青い。」のヒロイン鈴芽とは逆側やんね)、お母さんが亡くなられたこともあって14歳で学校を辞め、あとはほぼ独学で(父親の薦めでモスクワに行って図書館に入り浸ったという話のとこでは、労働者階級の出で経済的な事情か高校にも行けなかったコリン・ウィルソンが大英図書館に入り浸って『アウトサイダー』書いたことを思い出した)、その後教師(しかも生徒の知的好奇心をみたしてくれるすごくよい教師)になれただけの学力を身につけたどころか、名を遺すことになった業績の基礎、物理や数学の知識を身につけたらしい。

「この世はうまくできている。学校に通わなくても、先生に教わらなくても、読書さえできれば子どもは成長できる」(46頁より無断転載)

そんなツィオルコフスキーが大気圏を抜けた地球の外側はどんなだろうとシミュレートした結果は。

人類最初の宇宙旅行者ガガーリンが、「自分の見た大気圏外の光景は、ツィオルコフスキーが『地球の外で』のなかで書いているのとそっくりそのままだった」と言っている(後略) (220頁より無断転載)

ところでツィオルコフスキーが書いたSF小説についての章もあったのだが。
この頃ってE・E・スミスってもう執筆してたっけ?とふと思ってググった結果、わたしが小学校の図書館で借りて読んだと思ってたスカイラークシリーズ、どうもわたしの記憶と違うということに気づいた。
(レンズマンシリーズは後に文庫版でぜんぶ読んだが、スカイラークシリーズ(と私が思い込んでるやつ)は小学校の図書館で借りたジュブナイル版で読んだっきりなのだ)
反重力を発生させる物質&超能力者たち(超能力者のひとりに弱々しい外見の少女がいて、その少女について登場人物の誰かが「彼女はレースをまとった鋼鉄だ」って言うのだ)って、わたしが長年スカイラークの話だと思ってたこれ、なんなんだろう?
 てか、反重力を発生させる物質の話と超能力者が出てくる話、わたしの記憶ではひとつの話だったけど、ひょっとして別々の話がごっちゃになってるんだろうか?

さらに余談。
小学校のときに読んでむっちゃ記憶に残ってた『五次元世界のぼうけん』(マドレイン・ラングル)、読み返したいと思ったが見つからなかったのはタイトル間違えて覚えてたせいだと判明、ぶじ再会を果たしたのは2006年6月のことだったが、去年だったか、清原なつのがネットで描きおろし漫画を連載したことにやっと気付き、最初から読み始めたら、なんと『五次元世界のぼうけん』が登場。しかも図書館で借りて読んだきりだったわたしと違い、ずぶずぶにおぼれてらっしゃったのだが、思いがけない遭遇で、すっごいすっごい嬉しかった。
そして今年、ディズニーが『五次元世界のぼうけん』を映画化することを知る、どっひゃー。



『マルドゥック・ヴェロシティ』1、2、3 冲方丁 ハヤカワ文庫JA

図書館。
スクランブルを読んだのが2012年。
このヴェロシティが出たのが2006年。
スクランブル、すっごい面白かったのに、なぜそこからヴェロシティ突入しなかったのか、謎。
スクランブルよりも前の話。スクランブルでは敵役、ウフコックの元相棒のボイルドが、なぜウフコックと袂を分かつに至ったか、の物語。
スラッシュで区切った短いセンテンスで状況を描く文体が途中でかなりうざくなりつつ、あちこち読み飛ばしつつも一気。
ボイルドと同様、被験体となることで特殊な能力を身につけた仲間たち、きっとちょっとづつ死んでくんだろうなと予感したこともあって一気。
人間死ぬのはしょうがないけど(ってのもどうよ、わたし)、オセロット死んだらむっちゃ辛いと思いながら一気。
オセロットも死ぬんかなあ、死んでまうんやろなあと思いながら一気してたら、やっぱりオセロット死んだ。けど、おいこらオセロット、その死に方は想定外じゃっ! そんな素直に死んでんじゃねえよっ!
こんなときしみじみ思うのはやはり、西村寿行。西村寿行の小説なら、人は死のうがどうしようが犬は無事なのに。
ところで1巻途中、クリストファーが準備したバスに乗り込んで研究所からボイルドたちが出たとこでの。

ウフコックはオセロットの背に乗って、二匹して窓の外に興味津々だった。(131頁から無断転載)

初めて「外界」に出た二匹のこの「興味津々」な様がもう思い浮かべるだに可愛くて可愛くてほほえましくて、絵師さん誰かこれ描いてくれてないかなと探したが、今のところ1枚もみつかっていない。
ちなみにオセロット、わたしは漆黒のドーベルマンのビジュアルで読みました。


そんで「アノニマス」も借りてきたのだが、どんぱち派手な話なのになんとはなしに辛気臭く、1巻三分の一くらい読んだことで中断。


『へたも絵のうち』 熊谷守一 日本経済新聞社

図書館。
先月読んだ『仙人と呼ばれた男 画家・熊谷守一の生涯』の著者が、日本経済新聞社時代にまだ存命中だった熊谷守一に聞き書きしたものをまとめた本と紹介してた本。
これを読んでる最中、山﨑努が熊谷守一役、奥さん役が樹木希林、な映画「モリのいる場所」が撮られており、しかも公開間近なことを朝日新聞夕刊で知る。
ところで『仙人と…』にも載ってた美術学校二年目のときのスケッチ旅行、付知にいったん寄るまでの行程、「伊那から恵那へ」とあった。
恵那という地名があることを知ったのは数十年前、「恵那福堂」というところの栗きんとんを親戚から貰って、こんな美味しいもの食べたの、生まれて初めて、と思ったとき。
(「こんな美味しいもの食べたの、生まれて初めて」、年に10回くらい思う。うち8回くらいはそれを食べるのが複数回目なもの)
(ちなみに恵那な栗きんとん、いまだに食べるたび「こんな美味しいもの食べたの、生まれて初めて」と思う)
伊那という土地が別にあって、そっちは長野県の南のほうなことを知ったのは、ジャニだちのともちゃんと知り合ってから。
恵那がどのへんか知ったのは、岐阜県の南のほうだと知ったのは先月、NHK朝ドラ「半分、青い。」始まり、ググって確認して。
そこで初めて、恵那と伊那、似たような名前やからけっこう近かったりする?とか思ったが、地図よく見てみたが60キロ以上離れていた。
が、『仙人…』で前述の話を読み、あらためて「伊那 恵那」でググってみたら、こんなん書いてる人がいたものの、土地同士に特につながりはないらしい。
ところで「モリのいる場所」、すっごい観たいが、堺のTOHO二軒もMOVIX一軒も上映外。
行くとしたら、なんばパークスシネマか、MOVIX八尾か、イオンシネマ大日。
レンタル待ちかな…。


さっき思い出したけど「こんな美味しいもの食べたの、生まれて初めて」というフレーズ、しかも初めて食べたわけではないものに使う使い方、元は大原まり子の『処女少女マンガ家の念力』だった。主人公の少女マンガ家の箱崎美夜子さんが何かを食べて「何度食べても、こんな美味しいもの食べるの、生まれて初めてと思う」みたいなくだりがあって、あるあるわかるーーーとツボすぎて、自分の中で常用文化してしまったのだった。
そして「はこざきみやこ」の漢字を確認するのに本棚まで行くのがじゃんくさくてググったところ、この本、KINDLEで販売されてることを知ったが、表紙絵が違うー。岡崎京子と違うー。続編の『青海豹の魔法の日曜日』か『すばる星人』のどっちかには、いま本棚確認しました、どっちもでした、表紙以外にさらにカラーのイラストと一頁漫画がついてたが、これもKINDLE版にはついてないんかな?
と思ったら、KINDLE化されたのは第一作だけで、続編二冊はKINDLE版なかった。


『柔らかな犀の角 山﨑努の読書日記』 山﨑 努 文藝春秋

図書館。→新品(文庫版)を楽天ブックスに注文中 (5/27到着)
映画「モリのいる場所」情報を検索して、山﨑努が『役者ノート』とこの本と、二冊本を出してるのを初めて知り、こっちは実家から一番近い初芝図書館にあったので借りてきた。
「週刊文春」に2006年から2012年まで連載していた読書エッセイ。
山崎努という俳優は、出てるからという理由でその作品を必ず観るほどではないが、好きか嫌いかといえばかなり好きな俳優だが、人となりなんかはまったく知らず、つまんなくても図書館だからタダだしーと軽い気持ちで借りてきたのだが。
ディック・フランシスの小説のあとがきで児玉清が書いた文章に初遭遇、児玉清って文章まで児玉清だわ、と思ったのだが、山﨑努の文章も、まえがきのとこからこれまた実に「山﨑努」で、楽しく楽しく読んだ。
一番共感したのは佐野洋子の『問題があります』(筑摩書房)についてのとこの。

…洋子さん(面識もないのにどうしても「洋子さん」になる)… (208頁より無断転載)

シンパシーすぎて爆笑しました。
紹介されている本、ほとんどが読んでない本でしたが、たまにこの洋子さんとか、あと小川洋子とか池澤夏樹とか、知ってる作家の読んだ本がひょっこり登場するのも嬉しかった。

ところで私、大岡昇平の『俘虜記』は未読なんですが、72頁にあったこの中の、敵兵を撃つまいと決意した日本兵が決意した直後に敵兵と遭遇して撃たなかった話、去年NHKで放送された「戦慄の記録 インパール」、そこでこれにすっごい似たエピソードが語られていたのを思い出した。これと違い、そういった決意をしているわけではなかった人の話だったが。

これ読んでる最中、「モリのいる場所」オフィシャルさんが「ほぼ日刊イトイ新聞」の山﨑努インタビューのことをリツイートしてたもんで読みにいく。 
この本で山﨑努は原稿を書くことを「作文」とおっしゃってて、それがなんか「本業ではない」ことの気恥ずかしさっぽくてすごく感じがよいのだが、イトイ新聞のほうでもやっぱり「作文」とおっしゃっていた。

さらに余談。
今年九月新橋演舞場「オセロー」、療養のために降板されたつー様の代役がうちの神ちゃんに。
つー様がイアーゴーされる発表時点で、おお、あのわるもんかっ! しかもオセローが成駒屋かっ!(って「オセロー」、昔々にNHK教育で放送された先々代松緑&玉さまのの録画を映美ちゃんが貸してくれたので観たっきりなんですが)、観たい観たいすっごい観たいと思ったが、来年松竹座で同じ配役であるだろうと、それまで我慢するつもりでいたのだ。
が、それがまさかの神ちゃんに。
代役なので、来年同じ演目が松竹座で上演、配役がほぼ今年の新橋演舞場と同じだとしても、イアーゴー役がそのまま神ちゃんだという保障はないのだ。
これはもう東京まで観にいくしかあるまい。
と思っていたのだが、この『柔らかな犀の角』の中で、山﨑努が思いがけず、オセローについて書いていた。

オセローと一緒に天国で暮らすのは退屈、だったらイアゴーと地獄でつきあいたい、きっと「新鮮な、尽きることを知らぬ知的エンジョイメントの連続なのではあるまいか」と述べているのは中野好夫(「悪人礼賛」)。そう、オセローは立派な社会人ではあるが、「ああ、忌まわしい!」「おお、悪魔!」と始終嘆いてばかりいる。あの役は疲れると思う。いくら頼まれても演じる気にはならない。やるなら断然ワルのイアゴー。(259頁より無断転載)

大変だ、神ちゃん。山﨑努が「やるなら断然」と言い切るような役をやるんだ、神ちゃん。
そんでがんばれ、山﨑努が「いくら頼まれても演じる気にはならない」そうなオセロー役の元ハッシーな芝翫さま…。



『Landreaall』31 おがきちか 一迅社

新品購入。
もちろん小冊子付特装版。
DXがクレッサールで保護した槍熊の子供をボーイの群れに届けに行ったあと、なぜウルファネアに寄り道して竜葵にしごかれることになったかの話と、ディアの幼い頃の話と、ウルファネアの絹の端切れをめぐる話と、前にアンちゃんが話してたんだっけか、候補者の9人が死んで3人が気がふれたという王選びの試練の後日談みたいなの。
付録の描きおろし漫画は、クレッサールから帰ったあと自責の念で落ち込んでた六甲が、落ち込んでぼんやりしてたせいで、王城と重なる別世界の位相幾何学的存在と中身が入れ替わってしまう話。



『AX』 伊坂幸太郎 角川書店

図書館。
恐妻家の殺し屋「兜」についての連作短編集。『グラスホッパー』『マリア・ビートル』と同じ世界のシリーズ。
「AX」「BEE」「Crayon」「EXIT」「FINE」の五編入り。
「BEE」だけ『しあわせなミステリー』というアンソロジー集で読んでいた。
「EXIT」の途中くらいまでは、最後までこんな感じなのかなあとか思いながらだらだら読んだが、188頁で「え…、えええっ?!」と。
この本最後の頁が307頁なので、まだ3/1以上残っている。それが188頁でそんなことが起こり、これ、あとどうなるんだ?と思ったら…。
あらまー。

最後の「FINE」、息子側視点での「兜」に、「兜」の恐妻家っぷりが「失うことを恐れるあまり」だったことがしのばれ、どんだけ妻が、家庭が、大事だったんだ、と。









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